追い焦がれ、求め続けていたものは手に入れた。
頑張っても手に入れられないものがある。
それは、失われた時間。
失われた時間とこれから過ごす時間
夏が過ぎ、秋の中頃に差し掛かった頃。
私は幸せを噛み締めていた。
辛かった時は遠い記憶で微かに薫るぐらいにまで過ぎ去っていた。
私を成長させた要因でもあるから強く責めるわけにはいかない。
ただ、それは今の私がとても幸せだからだろう。
もし、一つ間違っていれば最愛の人に強く依存していて破滅していたに違いない。
……よそう、そう考えるのは。
今と未来を強く考えよう。
ささやかな幸せを考えよう。
それでいいじゃないか。
「なぁ、朋也……」
寝ている彼の頬を軽く突く。
んぁと少し間抜けな声が聞こえた。
ホント、寝顔は可愛いな。
「んん、智代か?」
「私以外に誰かいるか?」
「そりゃそうだ」
ふぁぁと欠伸をして朋也は起き上がる。
「智代、今日はさ用事があるから昼飯はいい」
起き上がり身体をパキパキと鳴らしながら私に言う。
用事か……。
今日を忘れているのか朋也?。
「……ん、わかった晩御飯を作って待ってる」
……今日は私の誕生日なんだぞ?
「それじゃ、悪いけどよろしくな」
「ああ」
言って私は台所に向かう。
その間、朋也は服を着るのでパジャマを脱ぎ始める。
「待たせた、飯を食べようぜ」
朋也は普段着に着替えてリビングに現れた。
「うん、ごはんにしよう」
ささやかなご飯。
ひもじくもなく豪勢でもないそんな何処にでもある普通の朝ごはん。
私はこんな朝が好きだ。
穏やかに流れる時間。
一日の始まりを実感させる。
休日だから、パンではなくてご飯にして。
和食をベースにする。
本来であれば今日は何をしようかとか何処に行こうかとか話すのが休日のあるべき姿だ。
今日は先に朋也が用事があると言ったので他愛のない会話をする。
「朝ごはんを食べてから、行ってくるな」
朋也はお茶を啜りながら言う。
「そんなに早く行くのか?」
「ああ、早く済ませたいからな」
時間は朝の9時半だ。
そんなに早く何処に行くのだろうか?
「んじゃ、行ってくる」
朋也はご飯を食べ終えて靴を履きながら私に言う。
「行ってらっしゃい」
私は手を振りながら朋也を見送った。
「……朋也のバカ」
本人が出ていった後、私は呟くように言った。
正直言って今日はほとんどやる事がない。
寝転がる、布団が気持ちいい。
「朋也のバカ、私だって寂しくなるんだぞ……」
本日二回目の呟き。
当然、返事など帰って来るはずもなく虚しく部屋に響く。
ここ最近、構ってもらえず朋也は疲れて直ぐ眠ってしまう。
仕事だから仕方ないと考えても2週間なら寂しくもなる。
私だって女の子だ。
弱いんだぞ?
「……面白くない」
考えて思った事を口に出す。
ずっと仕事優先が面白くない。
……ダメだな、こう思っていては。
朋也だって、仕事で忙しいはずなのに……。
「……眠い」
日差しに当てられて瞼が重たくなってきた。
いかん、……お休み。
夢を見ていた。
砂の上に私はそこに居た。
振り向いても誰もいない。
わかるのは月がそっと辺りを照らしていただけだった。
小さな結晶、私はそれに触れる。
それは儚く砕け散る。
結晶は砂になった。
砂は風に運ばれていく。
その砂を目で追う。
追った先に人が居た。
最愛の人、朋也が微笑みながら私を見ていた。
朋也っ!と声を出そうとしたが出ずに朋也は静かに闇に消えていく。
強く、大きな声で呼びかけようとしたけれど朋也はそのまま消え去った。
涙は零れない。
何故だがわからないけれどそれが正しいように思えた。
そこに残ったのは小さな光。
とても小さい光だがそれを感じさせないほど温かく、優しかった。
私はそれに触れる。
触れた時、とても幸せそうな顔で私と朋也は仲良く歩いていた。
今以上の幸せがあるのか?と言えるほど幸せな顔だった。
さっきとは逆にこれが正しいと感じた。
光はそれを見せ終えると消えていく。
代わりに一人の女の子が居た。
栗色の髪は首ぐらいにかけて伸びている。
赤い髪留めがよく似合っていた。
琥珀色の瞳は全てを優しく包み込むような慈愛に充ち溢れている。
白いワンピースが女の子の華奢な身体を目立たせる。
「何か悩み事?」
女の子は優しく問いかけた。
どこかで聞いた事があるような声。
人の心に直接語りかけてくるような声。
誰だかわからない。
一つ言える事は私はこの女の子を知っている。
知っていると言うより似ているだけだ。
だが、何かが根本的に違う。
それが何かはわからない。
『悩み事なんて……ない』
心に思った事が声に近い声を出す。
「嘘だよ、あるって顔してるもん」
『そんな事は……』
ないとは言い切れなかった。
「言い切れないでしょ?」
私の心の内を読むかの如く女の子は言った。
「多分、あなたは幸せすぎて周りがあまりよく見えていないと思う」
『……そうかもしれない』
いや、そうなんだ。
女の子が言っている事は正しい。
言い返せないのは当たり前だ。
「あなたは昔、酷く傷つき過ぎたからそうなるのは仕方ないよ」
何も言えないまま私は突っ立っていた。
「それでも、あなたは誰かを好きで居られたからいいじゃない」
『……いいのか?』
疑問に思った事を口に出す。
「いいに決まってるじゃない!なんであなたは簡単にそんな事を口に出すの!?」
さっきまでとは明らかに違う口調。
彼女に謝る。
『す、すまない……』
「私にじゃなくてあなたが好きな人に!!」
……考えればとっても失礼な事を朋也に言った。
謝らなくてはな……。
「……さて、私の助言はここまでかな」
『ああ、大丈夫だ』
私は彼女に言う。
『最後に一つ、あなたの名前を教えてほしい』
「わたしの名前?」
キョトンとした感じで彼女は答える。
『うん』
「名前は教えられないけど一応、正体はあなたで言うIfの世界の人間だよ」
If?
もしもの世界?
「そう、あなたが最愛の人と結ばれなかった世界でその最愛の人の子供が成長した姿かな?」
『それが……私となんの関係を?』
正直、訳がわからない。
「あなたはその世界で酷く後悔したけどあなたの最愛の人にとって忘れられない場所を作ったからね」
忘れられない場所?
「あなたにも関係があるよ、人の為にした事がまた人の為になったんだよ」
『わからないな……』
「わからなくてもあなたは知っている」
とても優しく、慈愛に満ちた目で彼女は私を見つめる。
「あなたにとってそこは哀しい事も辛い事も嬉しい事も楽しい事も全て詰まっているから……」
『……それは私が知っている場所だな』
「うん」
彼女は短く答える。
「これであなたの悩みは消えたかな?」
『ああ、ありがとう』
「どういたしまして」
その瞬間、世界は白く包まれ始める。
「もう、終わりなんだね」
『そうみたいだな』
案外冷静にいられた私は少し驚いた。
それはこれで会えない訳じゃないと確信があったから。
「それじゃあね」
『ああ』
白い光に包まれ意識が遠くなる直前彼女の声が聞こえた。
「この町と住人に幸あれ……」
そこで私の意識は途切れた。
「……」
目が覚める。
心がスッキリしているような感じだ。
実際、スッキリしたのだろう。
夢の内容は覚えていない。
ただ、ハッキリしているのはとても幻想的な夢の中で私の悩みは解消された事だ。
「この町と住人に幸あれか……」
この言葉の意味は正直わからない。
祈るように言うこの言葉はとても切ないものなんだろう。
けれど、人が幸せになってほしいと感じられる言葉だ。
「もう、昼か……」
時計の針を見ると12時を通り越し14時を指している。
「そういえば、まだ昼ご飯を食べていなかったな……」
するとお腹の方からキュルルと小さく鳴いた。
簡単にご飯を済ませる。
また、暇になった。
時間は15時になっていた。
「散歩でもするか……」
私は少し着込んで家を出る。
行く場所はわからない。
わからないけど自然と足が向かう方向へ。
少し、肌寒いが日差しが気持ちよくて気分が良くなる。
歩いて行く人を縫い路地を抜けて商店街へと歩いた。
変わりつつあるこの風景が寂しくもあった。
しかし、それは仕方のない事で私たちがそこで過ごした事実は変わらない。
商店街を抜け、今は桜の花がない桜並木の坂道。
学校の坂道を私は見上げていた。
「ここは変わらないな……」
嬉しかった。
過ごしてきた時間の中で失われなかった場所が今もまだある事に。
不意に一人の影を見つける。
小柄で華奢な体つきは恐らく女性だろう。
その女性は坂道を見上げ続けた後、こっちの方に歩いてきた。
すれ違う。
赤い髪留めが目に入った。
「ちょ、おい!」
思わず私は声をかける。
「はい?」
女性は振り向き、なんでしょう?と目が語っていた。
茶色の髪の毛、くせ毛なのだろうか日本の髪の毛がピョンと立っていた。
赤い髪留めは彼女の綺麗な髪を一房束ねている。
そして、琥珀に近い茶色の瞳が見透かすようでいて安心させる眼差しで私を見た。
「あっ、その、すまない……、ある人に似ていたものだから」
「そうだったんですか……、そのある人は私に似ていたのですか?」
丁寧な敬語と口調、それだけで彼女はとても優しい女性なのだと思えた。
そんな口調で私にそう聞く。
「……いや、自分でもよくわからないが何故だか似ていると思ったんだ」
自分でも訳のわからない話をしていると思った。
しかし、彼女は一つも笑いもせずに優しく微笑みながら聞いていた。
「そうですか、不思議な事もあるんですね」
「ああ、まったくだ」
彼女は本当に信じていると思ったから間抜けな返事をしてしまった。
「では、これで私は帰りますね?」
一礼して彼女はその場を立ち去ろうとする。
「待ってくれ!」
「なんでしょうか?」
思わず彼女を止めてしまう。
「その、……ここであなたは何を?」
この問いに彼女は考える。
「ここは私が立ち直れた場所だからです、散歩でここに来るといつものように坂道を見ていたんですよ」
「そうか、すまない変な事を聞いた」
「いえ、気にしないでください」
心から言っているのだろう。
そう彼女は笑いかける。
「……あなたの名前は?」
「古河渚です」
彼女は答えた。
「私は……岡崎智代だ」
「……智代さんですね」
噛み締めるよう、彼女は言う。
「また、会えるだろうか?」
そんな自分勝手な問いに彼女はこう返した。
「この町に住んでいればきっと、会えますよ」
ではと一礼をして彼女は立ち去った。
私も程なくしてこの場所から立ち去る。
その途中で朋也に会った。
「朋也、どうしたんだ?」
「この近くを通ったから、坂道を見ていこうと思ってな」
「そうか」
私は短く答える。
「この場所だから、丁度いいなこいつを渡すよ」
「これは?」
桜の花びらの形をしたネックレスだった。
「誕生日プレセントだよ、最近忙しくて構ってやれなくてごめんな?」
「……いや、これだけで十分だ」
そのネックレスを見ながら私は答える。
と同時に朋也に抱き付く。
「嬉しい、ありがとう朋也……」
「そっちこそ、いつもありがとな智代……」
抱き合ったまま、私たちは唇を重ねる。
こんなささやかな幸せを感じられる時間をこれから過ごしていきたいと朋也の腕の中で私はそう思った。
町は変わっていく。
それは人も同じ事だけど変わらないものだってある。
私たちが過ごしてきた場所と出会ってきた人たち。
その事実は変わらない。
それが幸せって事に気付けた私はこう言おうと思う
「この町と住人に幸あれ」